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東京都大田区
大森西5−5−5 KEN-ELT
英語学習専門校
TEL 03-3761-6180
FAX 03-3761-3669
TESOL(英語教授法)Diploma取得のプロ日本人講師による完全マンツーマンの英会話学校(英会話教室、英会話スクール)です。アメリカ英語、イギリス英語に対応しています。
 
英語入門者・
初心者の方歓迎
KEN-ELTの生徒さんは他の学校と比べ、遠方から通われている(大田区、練馬区、文京区、さらには茨木県や新潟県からも)。40代〜60代の方も多い(みなさん英語を楽しんでいます)といった特徴があります。「語学の習得には距離も年齢も関係なのです。
 
KEN-ELT Essays  
 
ここでは「異文化」をテーマに私が感じてきたこと、そして「ヨーロッパ」、「北米」を中心に旅した記憶をエッセイという親しみやすい形で記しています。
KEN-ELTの授業の中でもさらに詳しく自分 の体験を共有していけたらと考えています。
 
違いを楽しむ
人間はある社会の中に生まれ、その国の文化を身につけてそれに基づいた価値観で物事を捉えるようになる。例えば、日本の文化では「おとなしく、従順である」ことが好まれるが、
欧米の文化では「自己を主張する」ことが価値があるとされるがゆえ、あまりに控えめであると自分というものがないとみなされてしまうようである。このような経験を通して人は異文化に気づ
いていくのである。身近な例では、欧米文化では、「家に入るときに靴を脱がない」とか「風呂は簡単にシャワーで済ませる」とかいうことを外国に生活し始める人は感じ取ることだろう。生活し
始めは外国との生活や考え方の違いが新鮮に思えるものである。なぜなら、今あなたがその国で生活していることそれ自体がかつて夢に思っていたことであろうからである。   
しかし、異文化の中にある程度の期間滞在していると、かつて新鮮だと思えたことが面倒になってきたり、不都合と感じてしまうことがあるかもしれない。また言葉の方も段々と上達
していき、現地の人の考え方がわかるようになるが、その中で理解できないことに不満を感じるようになるかもしれない。そうした一見自分にとって不幸と思えることが次々と出てくるうちに、ひ
どい場合は極度のホームシックにかかってしまうこともあるかもしれない。異文化のなかでのストレスは想像以上につらいものだ。しかしこうしたときに、次のように考えてみたらどうか?
「自分がこうした違いに悩まされているのは、自分が滞在しているこの国とは異文化背景を持っているからであり、むしろこうした違いを感じることができることは、自分の国では
できない貴重な体験である。」
つまりは、異文化にショックを受けるのではなく、与えられた異文化の機会を積極的に楽しんでいこうという思考転換が、異文化で生活する、さらには外国語を学習する上での必須
項目であると自分は考えている。
 
往復の飛行機の中で考えること
カナダであれ、イギリスであれ、成田から最低10時間はかかる。そうした中でどのように過ごすか?それは誰もが一度は考えるテーマであろう。自分が英語圏へ向かう際は、これ からの生活を想像したり、そこで出会うであろう人々に期待と不安をよぎらせたり、英語の本を読んだりすることで頭を英語のモードに切り替えていく。
帰国するときは「いろいろ学ぶことがあった」と一時高揚するもいざ飛行機に乗ると、これから自分の国へ帰るのにある種のさみしさがあると同時に、「まだここが足りなかったなあ 」と考え、本などは読まずに帰国後の克服方法を考えていたりする。いくら日本で「これで十分だ」と考えて準備をしていても帰るときにはなにかしらの課題を残すことになる。しかしそうした課題があるからこそ、「またいろいろ課題を克服して戻ってくるぞ」というやる気が沸いてくるのだ。
また自分のモットーとして、渡航する前は語学の勉強はしても、文化についてはあまり予備知識を本で仕入れたりはしない。あまり過剰に期待したり、先入観をもたないことで、
海外の様様な文化をありのままに感じることができるからである。
 
タイム・ラグ
人は同じときに違う場所に存在することはできない。どこかへ旅に出れば、当然のことだがその人は自分の家にとどまることはできない。人がひとつの体しか持ち合わせていな いことを考えれば,これは自然なことのように思われる。しかし、「このことは単に物理的事実以上に我々に示唆するものがあるのではないだろうか?」と、私は日本への帰り飛行機の中でい つもこのようなことを感じてしまう。日系の航空機の中では日本のニュースが放映され、日本の新聞が配られる。
そして、それを見聞きする中で、知らないことの多さに驚いている自分を発見 する。自分がイギリスなりに滞在していた期間が短かろうと長かろうと、現地に住んでいる限り、日本の情報は微々たるものしか入ってこない。今日本で何が起こっているのか、それは日本人 の多い都市でしか正確な情報は仕入れることはできない。でも自分はそれでいいと思っている。現地で生活し、その中でテレビや新聞を通して現地の情報を手に入れ、その国に住む人と同じ ように、ある問題について考え、会話を交わす。
そうした中で、嫌がおうとも自分が外国人であることを意識することになる。自分以外が全て現地人である場合などは世界に日本という国が 存在するのかと思ったことが何度かあった。日本語情報が入らず、現地で日本語を話す人間に一人として会わなければ、このように感じるのはむしろ自然かもしれない。しかし、眼に見える世 界で日本という国の存在を否定しても、眼に見えない心のなかでは、少なくとも自分という一人の人間の心のなかでは、現地の異文化で生きる人々と接するなかで意識する「日本」という国が ある。
 
期待することの功罪
海外へ滞在するとなると、人は様様な期待を抱くだろう。そして、その膨らんだ期待はわだかまりとなった不安など小さな存在に変える。新しい土地、人と出会う。その中で 成長することはあるだろう。楽しい思い出もたくさん作って帰国することもできるかもしれない。しかし、思い通りにいかないことが多いのも海外での経験の一面だ。むしろ、最初に抱いた期待 は、一週間、一ヶ月、一年と月日が経つごとに次第に薄れていく。そして、次第にこのように思うかもしれない。「私は何をここでしているのだろう?何のためにここにいるんだろう?このような苦労をするために自分はここにいるのだろうか?」
でもよく考えてほしい。自分の国に住んでいても楽しいことばかりが続くものだろうか?思い通りに事が進まないことだってたまにはあるのではないだろうか?ただ海外で は思い通りに進まないことが自分の国で生活しているときよりも多いだろう。つまり、自分の国でしなくても良い苦労を多く経験することになる。となると海外で生活することはより多くの苦労を しにいくことになるかもしれない。しかし、自国にいては決して知ることのない苦労なり問題に出合い、何とか自分で解決法を見つけていくことで、人間としての経験値が確実に高まる。多少の 悩みなど気にしなくなる。実は語学や文化の知識以上にそれが海外で暮らす醍醐味でもあるのだ。
 
語学と完璧主義の関係
「何をやるにしても完璧を目指したい」と思い、自分の目標に向かってひたすら走りつづける。」これは確かに素晴らしいことだ。「完全なものなどこの世にない」とわかっ ていても、人は自らの脳のなかに理想像を作り出し、それに向かって生きていく運命を背負った生き物であるのかもしれない。言葉を学ぶ場合も同じことが言えよう。やるからには完全に語学をマスターしたいと思う。
しかし、外国語を学ぶこと自体は「非日常的」なことである。人がある場所でこ の世に生を受け、ある価値観をもつ社会の中で育てられる中で、人は他人とのコミュニケーションの手段として、自らが無意識に操れる言葉を身につけていく。その言葉を使うことは人にとっ てごく日常的なことである。しかし、人はそこでは満足できずに、好奇心というものを武器に外国語に興味を持ちはじめる。人があるものを手に入れたあとも、次から次へとまたあるものを求 めていく欲望が絶えない動物であると考えるなら、この場合外国語に魅かれるのは不思議なことではあるまい。
しかし、いくら完璧に文法なり、語彙なりをマスターしたと自分では思っていても 、いざそれを使用するときになると戸惑ってしまうという経験は、誰もが一度は経験することだろう。言葉にはそれを話す人々のもつ様様な歴史、生活、価値観が刻み込まれている。それゆえ、語学において完全を目指すということはそうしたもの全てを理解しようとい う試みである。
その意味で完全を目指すということ、それ自体は現実的な発想ではない。むしろ、自分にとって必要な程度のことを表現できることを自らの達成目標にすることが重要である。 したがって、人それぞれ語学の習得にかける時間には差が生じてくる。他人がどうであれ、自分を基準にして語学に取り組むことが語学における最も賢明な選択のように自分は考えている。
 
語学における性格
言葉はコミュニケーションの手段である。いくら文法やルールを暗記しても、いくらたくさんの単語をやみくもに暗記しても、それを実際のコミュニケーションの際に有効 に使うことができないとすれば、それは言葉を学んだことにはならないだろう。特に英語という言語は直接的な表現を好み、その言語を使用する英語圏では自分から言葉を武器にして能動的 にコミュニケーションをとり、明確に自分を表現していかなければ物事が思うように進まない。つまり、たとえ困った表情をしていても、言葉で自分の感情を表現しなければ誰も気にしてはくれ ないということである。そうなると、積極的に働きかけることのできる外交的な性格の人のほうが語学に向いているのではないかと人は思うかもしれない。事実、自分の感情を素直に表現する という点ではその主張に一理ある。
しかし、それでは内面的な性格の人は語学に向いていないのだろうか?それは全くの誤解だと自分は考える。確かに自分を表現していくことは少なくとも英語という言語を学ぶ上では大切な要素のひとつである。しかし、言葉の学習には コミュニケーションの手段のほかにより深層的な側面がある。言葉を学ぶ中での試行錯誤、読書を通じた表現力の強化、さらには言語とはどのようなものかを探求することで、人はより深い レベルで言語を理解し、操ることができるようになる。そしてこの側面は内面的な学習者によくみられるものである。積極的にコミュニケーションをとる姿勢を否定するつもりは毛頭ない。ただ、目に見える部分だけで満足していては上達に行き詰まったときに途方に暮れることと なる。言葉について深く考えることがどこかで必要になるのである。内気な性格だからといって性格など変える必要などない。内気な人だからこそ続けられる地道な語学の側面がある。そして それは一人の自立した語学学習者としての自信を与えてくれるのである。
 
多国語学習の効果
英語は今やあまりに国際語の地位を高めてしまっているためか、英語さえ学べば世界中どこへいっても事が足りると人は考えるようになったと感じている。確か に何ヶ国語を身につけるという大変な作業に取り組むよりか、より通用範囲の広い英語を学ぶことには一理ある。しかし、英語を母国語としていない国で当たり前のように英語だけで済ます のに私は抵抗感がある。たとえ挨拶だけでも外国人旅行者があなたに向かって日本語で話しかけてきたらそれがどんなにぎこちなくても、私たちは懸命に理解する努力をするのではないだ ろうか?                   
日本語と語順や冠詞のシステムが似ている韓国語を学んだら、漢字語彙を使う中国語に挑戦するのもよいだろう。どちらの言語も日本語という言語の本質を より客観的な視点から考えるきっかけを与えてくれるだろう。アジアの英語学習者と遭遇したときに彼らと日本人が抱える英語学習のつまずきやすい点に共通点があるのを発見するかもしれ ない。英語を学んでいるのなら、同一系統で語彙に共通点の多いドイツ語やフランス語を学ぶとよいだろう。英語は母国であるイギリスの歴史から語彙は豊富だが、文法システムについては 非常に簡素化されている。ドイツ語のように厳密な格の意識はほとんどなく、フランス語のように名詞に性の区別もない。これらの言語に少しでも触れることで英語という言語の本質をつかむ きっかけが得られることであろう。そして、ヨーロッパでマルチリンガルが多いわけを知るきかっけになるかもしれない。
つまり、より多くの言語に触れることで言語というもののシステムには共通項があり、その共通項が人間の言語というものの本質を垣間見させてくれる。言語 にとりかかるきっかけなど何でもよいと思う。通用範囲や経済的な立場だけが言語を学ぶ理由ではない。自分が少しでも興味がある国の言語に触れることで新しい世界が広がるのである。
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New York JFK
広々として緑が多く、朝は小鳥たちのさえずりで目が覚める。
窓からはさんさんと光が降り注ぎ、暖かい空気にさそわれて外へ散歩に出る。
車や人の行き来はほとんどないのに、何かガサガサという音がするのに気がつく。
ふと足元を見ると、リスの親子が追いかけっこを楽しんでいるではないか。
これが中産階級が住むアメリカの郊外の様子である。のどかであるのは確かだが、なぜかあまり外国人の自分にとっては居心地がよく感じられなかった。というのも特にアメリカ東海岸では白人が多数を占める。ダウンタウンに行けば確かに様様な人種がいる。しかし、ダウンタウンから離れるに従って、カラフルな人種は次第にひとつの色に染まり、またもうひとつの色に染まっていく。そうした中では常に自分がマイノリテイーであることを意識する。人間は同じ文化背景をもつ者同士で固まる傾向がある。これは何も、家族、集団意識の強い民族だけにあてはまるものではない。ダウンタウンに出れば、それぞれの国からアメリカという国にやってきた者が、それぞれの共同体を形成して生活している。やはり、同郷の者同士、互いに協力するのは自然な流れなのだろう。それゆえに、都市部では異文化をありのままに体験する機会はあまりない。それに対し、郊外では異文化というものと真正面で向き合うこととなるのである。
そのようなマイノリテイーの立場となるものにもサポートをしてくれる存在が必要である。私の場合、それはステイ先の家族であった。郊外の生活で悩み苦しむ中、家族を通してキリスト教の存在を知った。私も例にもれず無宗教の日本人だ。学校の社会の授業で宗教については多少学んだものの、実際に宗教が社会の中でどのような意味をもつのかについて考えたことはなかったのである。日曜日の教会へ行き礼拝をするということがあまり行われなくなってきているアメリカで、フィラデルフィアという土地はアメリカの伝統的価値観が根強く残っているからであろうか、教会というものが生活の中に溶け込んでいるのを感じた。私が異文化の壁にぶつかり、悩んだときには家族が聖書にこのような言葉があると教えてくれた。その中で印象に残っている言葉が二つある。ひとつは人生を母親の出産に例えたものである。
「母親は子供を生む際、二度涙を流す。一度目は生理的な痛みに伴う苦しみによる涙。二度目は自分の子供が生まれたという事に対する喜びの涙。そしてこの苦しみと喜びは人生の様様な段階で人間が感じる二つの感情である。」
そしてもうひとつの言葉。
「外で楽しそうにないている鳥はなぜないているのだろうか?明日、外敵に狙われて命を落とすかもしれない。明日自分の身に何が起こるかわからない。でも鳥がないているのは、だからこそ今このときを楽しく過ごしたいからである。」
 
Toronto Pearson
アメリカ合衆国を「国境の南」と呼ぶカナダは、生活水準の高い国として世界に知られている。
カナダ最大の都市トロントは、約二時間ほどでアメリカに着く位置にありながら、アメリカの都市とは趣を異にしている。
それを強く私が感じるきっかけは、アメリカ東海岸の大都市を回る旅からトロントに夜、帰着したときであった。
アメリカ最大の都市ニューヨークが高層ビル群を携えて世界にアピールしていたのに対し、トロントは世界にアピールするどころか、控えめに大国アメリカの影に隠れているように感じたのである。アメリカのテレビ番組や製品が洪水のように押し寄せ、世間一般ではカナダをアメリカの属国とみなす人も多いだろう。
しかし私がトロントに住んでみて一番強く感じたことは、皮肉にもアメリカとの歴然たる社会的違いであった。知らない道に迷い込んで銃口を向けられる心配もなければ、皮膚の色を理由に差別が生まれることもない。地味ではあるかもしれないが、一人の人間として生きていける社会がそこにはある。
一方で、「カナダ的」なものは何か?その答えを探しているのはカナダ人自身である。その分、カナダブランドへの愛情は深く、コーヒーから洋服にいたるまで自国のものを好む。フランス語圏を抱えた唯一の英語圏として、イギリスとフランスによりもたらされた葛藤とともに、世界各国からの移民の文化を融合させていくことは容易なことではない。カナダ人の願いは唯一つ。人間らしく生活のできる社会を皆で協力して作り上げていくことである。
 
London Heathrow
ロンドンのヒースロー空港からタクシーでロンドン市内へと向かう途中、自分は今までいたカナダの家並みとの親近感を感じていた。
イギリスもカナダも同じアングロサクソンの文化を共有し発展してきたのだと、両国を冷静に分析していたのを覚えている。
しかし、私のそうした考えが浅はかであったと感じたのは、自分がロンドンの地下鉄に乗り、ホームから地上へ出たときである。ロンドンの賑やかなオックスフォード・ストリートは通勤する人々で溢れかえっていた。ただそれだけでは、東京やニューヨークやトロントでも同じだ。自分が今まで滞在していた都市にはないもの、それは高層ビル群である。ロンドンでは歴史あるものが何世代にも渡って大切に守られているのである。法律でもある程度以上の高さを超える建物を市内の建てることは禁止されている。今思えば初めてこの時、自分は「ヨーロッパ」というものに出会ったのである。
イギリスを一言で表すことは難しい。ただ、古いものへの愛着心は他のヨーロッパ諸国を圧倒するものがある。ある都市では家が古すぎて少し傾いているのを見た。そして、歴史ある港町ブリストルで滞在した家ではシャワーがなかったことなど、近代的な生活に馴れた身には不都合なことも多くあったことを覚えている。しかし、そうした不都合さを超える何かがこの国に自分を惹きつけていた。人々が寝転び憩う大都会ロンドンの広大な公園、短い夏を少しでも楽しもうとする人で賑わうブロードステアーズの海岸、バスから見た永遠に続くかと思われるケントの緑豊かな田園風景、そしてブリストルの町を印象づける丘の数々・・・。それら全てが、全てそのままの形で残され、次の世代へ残されていく。
 
Seoul Inchon
トロント時代に知り合った友人を訪ねて、韓国へと旅立った。
今まで英語圏しか経験したことのない自分にとって、日本と近いにも関わらず文化も言葉も馴染みがない国へいったことは貴重な経験となった。
またアジアの国を旅したことで見えてくる食文化等の日本との共通点も自分が日本人であるとともにアジア人であることを感じさせた。
首都ソウルから車で4時間ほどのところに友人は住んでいたので、成田からは計6時間の旅である。時差のない外国へきたことが自分を戸惑わせたのか、その日は早く寝ることにした。あくる日、友人が世界遺産のある都市へ案内してくれた。どこからみても日本の田舎である。多少の違いはあるにしろ、寺のつくりも非常に日本のそれに近い。ただ、それぞれの建造物の歴史を探るうちに、日本の負の歴史を知ることになったのを覚えている。
二日ほど友人宅へとまった後、友人はソウルへ案内してくれた。東京のように人々であふれかえり、高層ビル群が乱立している。街中に書かれた文字が日本語ではないということだけが、唯一自分が異国にいることを意識させているかのようだった。ソウル・オリンピック、ワールドカップと、韓国は急激な成長を続け、若者は独自の文化を作りあげてきた。いたるところで夜遅くまでライブが行われ、それを楽しみに待つ若者でソウルの街は活気にあふれていた。そして、近代的なデパートの前に並ぶ屋台の列で、皆辛いものを求めていた。近代化で濁った空気をものともせず、皆がこの街の夜を楽しんでいた。
韓国の都市部では日本語を話せる現地人は少なくない。それは、近年の日本における韓国ブームによる日本からの旅行者の増加に関係するものであろうが、日本と韓国の歴史とも関連があることを私たちは忘れてはならないだろう。そして、何も国単位ではなくとも、これからの世代の「個人的」な交流が重要であると思うのである。
 
Wien Schwechat
ウイーンと聞けば、人はすぐさま「音楽の都」を連想するだろう。しかし、それ以上のことを知っている人はどれだけいるのだろう。
この旅は自分のウイーンという街の知識を広げる旅でもある。
そう、どこかで自分は感じていたに違いない。空港から市内へと入るにつれ、各々の建物がどっしりとして、とても清潔に保たれているのを見た。
歴史的な建造物であるはずなのに、それらがあまりに美しく保存されているためか、現代的な香りをも持ち合わせているように見えた。翌朝、ホテルの近くにある教会の重厚な鐘の音で私は目が覚めた。多少の時差ぼけを感じながらも、このことが自分が今ヨーロッパにいることを感じさせた。朝食を済ませ、早速夕べ暗い中で見たウイーンの街中へと向かう。地下鉄の駅を出ると、そこにはやはり壮大な建物が私を取り囲んだ。それぞれの建物はキリストの彫刻像で装飾され、その色彩も豊かである。本来、原色である黄、緑、ピンクなどの色が、他の建物と調和するように、それぞれの色を自ら水で薄めているかのようであった。
夕方も4時を過ぎると薄暗くなり始める。と同時に街は美しい光の衣装に着飾られ、あちこちでクリスマス市が上品な光を放ち始める。クリスマス市独特の甘い香りが見る者を惹きつけ、それとともに音楽がいたるところで響きわたる。
ウイーンは西欧からの観光客はそれほど多くなく、かつての王家の栄光はウイーンの街とオーストリア人の心の中にだけ残されているようだ。しかし、ウイーンは伝統的に東欧の国々との関係が深く、新しく生まれ変わろうとしているこれらの国々の行く末をわが子のように見守っているように私には感じられた。
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Berlin Tegel
本場のクリスマスを一度は見てみたいという思いからベルリンへと向かった。ベルリンの壁が崩壊し、次々とかつて社会主義であった国々がEUに加盟していくことなど誰が想像できただろう。
ドイツがかつてこの欧州の地で犯した罪はそれを体験した人の心から消え去ることはないのだろう。しかし、ベルリンという都市は統一ドイツの首都として一度失ったものの意味を強く感じているかのようだった。
戦争で歴史的な建造物を失ったドイツの都市を訪れるヨーロッパ人は少ない。ベルリンはその中でも近代的なビルが立ち並び、ここがヨーロッパの都市なのか疑わせるほどだ。ただ街には古代ギリシャ風の博物館が壮大なスケールで見る者を惹きつけている。ベルリンという都市は今も自らの向かう道を模索しているように見えた。
世界最古のクリスマス市をドレスデンに訪ねた。ドレスデンも戦争でほとんどの歴史的建造物を失ったが、かつての王国時代の栄光を取り戻そうと、再建事業が始まり、つい最近完成したところだ。当時の街の姿を忠実に再現しようとする民族としての誇りとそれを実際に成し遂げたドイツ人の精神力には驚くべきものがある。ドイツは自らがなしたことをヨーロッパに謝罪し、自らの「正」の遺産を取り戻そうとしている。その一方で、「負」の遺産も一般に公開することで自らの犯した過ちを忘れないようしきりに努力している。近代的なベルリンと重厚なドレスデンで私はそう感じていた。
 
Amsterdam Schiphol
オランダは数々の革新的な実験を行っている国という印象がある。その首都であるアムステルダムは、ソフトドラッグが合法であるなど、いささか退廃した印象をもたれている。しかし、実際に足を踏み入れてみると、西ヨーロッパの非英語圏で最も英語が通じ、あらゆる国籍の人が行き交う、本当の意味での「国際都市」の一つであるといえる。
誰もが気軽に溶け込める独特な雰囲気がこの街にはある。建物はシンプルで、街を特徴づける運河に沿って整然と並んでいる姿が美しい。黄金の17世紀の雰囲気を大切に残しながらも、次々に新しい社会改革をしていく機能的な国を象徴しているかのように私は感じた。
オランダの政治都市ハーグには緑が多く、軽やかだが洗練された建物が立ち並ぶ。オランダ特有の運河はあまりここでは見られないが、少し中心から離れたところにはオランダ随一の海辺リゾートがある。ここで感じるのは、オランダの空の変化がとても激しいことである。雲が何層にも連なり、オランダの大地の広がりを再認識させる。あらゆる国の文化を受け入れ、世界共通語の一つである英語を抵抗なく操るオランダというヨーロッパの小国で、この国をこの国たらしめているものを私は探し求めていた。その一つの答えが、この太陽が見え隠れし、その微かともいえる光が平坦な大地を照らす空の情景なのかもしれない。ヨーロッパ大陸の北端の海岸で、私はそのように感じていた。
 
Bruxelles/Brussel
オランダからベルギーへと入るにつれ、建物がより装飾性が高くなっていくことに気づく。
その日は朝から霧が立ち込めていたが、それが一層、ベルギーという国の中世の幻想的な街並みを引き立てているようだった。
フランス、ドイツといった大国に囲まれ、複雑な歴史を抱えた国だが、今や各々の国の魅力的な部分を取り入れ、ベルギー独自の文化を作り上げている。
街中では、ドイツ風のクリスマス市が立ち並び、オランダ風の破風屋根の建物が広場を取り囲む。そして、フランスの美食の伝統を基盤に、ベルギー独自の食文化を作り上げている。中世の雰囲気が色濃く残るブルージュでは、馬車が石畳の街並みをゆっくりと駆け抜け、鐘楼の軽やかな音が夕暮れの街に一日の終わりを告げる。暗黒の時代であった中世が軽やかに親しみやすい魔法に包まれて、現代を生きる自分に語りかけているかのようだった。
 
Paris Charles de Gaulle
イギリスからフランスへ入るにつれ、列車はスピードを増していく。線路沿いの家が立ち並ぶことの少ないフランスは、そこがヨーロッパ屈指の農業国であることを感じさせる。クリーム色でフランス独特の曲線で飾られたバルコニーが、パリという大都会に統一感を与えている。セーヌ川沿いに堂々と佇むノートルダムの鐘が、数々の画家を生み出してきたこの都市にも、時間が止まらずに流れていくことを私に感じさせた。
イタリアから、フランス第三の都市リヨンを訪ねた。リヨンという街は、パリのような意味での統一感はないが、個々の建物の装飾が繊細で、その一つ一つが強い日差しに照らされ、より一層の輝きを増す。パリを中心に次々と新しいアイデイアが生み出されている現代のフランス料理の潮流に背くかのように、この地方独特の伝統料理を保持し続けるリヨンという街は誇り高くフランス的である。
ドイツ国境に程近いアルザス地方の中心都市ストラスブールは、ドイツ風の街並みを強く残しながらも、所々にフランス特有の装飾が見られ、フランス風ピザを生み出すなど、かつて歴史に翻弄された過去を乗り越え、ヨーロッパ統合を真摯に見つめている。
フランスという国は、パリを中心とした中央集権的な正確を持ちつつ、地域特有の文化を頑なに守り続けている。言語から料理、さらには社会システムに至るまで、フランス的基準を示し、それを共有することを訪れる者に迫る。またそのことがこの国にある種の統一感を与えているのだろう。統一された街並みに身を置き、私は強くそのように感じていた。
 
 
Zurich Kloten
人影さえまばらなある日曜の朝、私はスイス経済の中心チューリッヒの街を歩いていた。
市内のシンボルでもある三つの教会の鐘の奏でる音が互いに交差し、川沿いに立つ私に、ヨーロッパへ戻ってきたことを感じさせる。落ち着いたグレーを基調とした建物の外窓は開かれたままで、バルコニーには色鮮やかな花々が、遠方から来た旅行者を温かく受け入れる。
スイスの首都ベルンにはあらゆる所に噴水が立ち、それを見守る像の前で、アルプスの水が人々の喉を潤す。一方で、スイスは、西ヨーロッパの中心に位置しながらも、ヨーロッパ連合に参加せず、スイスフランに固執する。フランス、ドイツ、イタリアといった大国に囲まれ、度重なる戦争を目にしてきたこの国には、未だに消ええぬヨーロッパに対する不信感がある。連なるアルプスの山々による物理的距離にとどまらず、スイス独自の言語により、心理的距離をも保ち続ける。ヨーロッパの都市には珍しい透明度の高い湖で、清清しいアルプスの空気を感じ、この国独自の言語を聞く中で、この国が辿ってきた歴史、そして自国の文化を守ろうとする人々の姿勢について私は思いをめぐらせていた。
 
Donostia-San Sebastian
ヨーロッパの西端に位置するイベリア半島の北東にバスク地方がある。その経済的中心都市ビルバオの旧市街では、黒、茶、クリーム色といった落ち着いた色の建物が立ち並び、同系色の出窓とバルコニーが交互に調和する。
街中では、バスク語とスペイン語が同時並記され、人々が集まるバルでは、スペインの小皿料理として知られるタパスではなく、小さな様々な種類のパンの上に魚類
やハムを乗せた「ピンチョス」という地域独自の料理が主流となっている。ビルバオからさらに北へ向かえば、そこには海辺の町が点在し、この地域が漁業で栄えてきたことが容易に想像できる。しかし、そこではもやはスペイン国旗を目にすることはない。その町とバスク地方の、そしてヨーロッパ連合の旗はあっても、スペインの旗はない。石造りでオレンジ色の屋根で統一された家々が、緑豊かな山々と透明度の高い海に囲まれ、自分がどこか一昔前のヨーロッパに戻ってきたかのような錯覚を起こさせる。
スペイン・フランコ政権下でのゲルニカ爆撃、バスク語の使用禁止という厳しい条件の中でたくましく生き抜いてきた人々の誇りがこの土地にはある。今や独自の食文化、独自の銀行、会社を抱え、このバスクという土地はイベリア半島で文化的、経済的に恵まれた土地として知られている。ヨーロッパの最古の言語の一つといわれるバスク語を耳にした私は、ヨーロッパの原風景をこの土地に見ていた。
 
Milano Malpensa
北イタリアの都市ヴェネチアは世界にも類を見ない、文字通り水の上に浮かぶ港湾都市である。
街中は運河で張りめぐらされ、人が一人通れるかほどの狭い道が旅人を別世界へと誘う。都市自体は小さいものの、旅人は道に迷い、偶然見つけた教会の装飾に圧倒される。
買い物をしようと歩いた末、旅人は道に迷い、目にする芸術性の高い絵画に感嘆する。
ヴェネチアは、奇跡的ともいえる地理条件のもとに静かに佇む芸術品のようである。この都市を形容することは難しい。しかしだからこそこの都市は、訪れた者に、彼ら自身の発見を促す。
イタリア共和国統一の最初の首都として栄えたトリノは、イタリアの都市には珍しく、整然と区画された道が続く現代都市である。優雅に装飾された建物が、かつての誇りと共に広場を取り囲む。一つの広場からまたもう一つの広場へ、人は足を踏み入れる度に演劇の舞台に立たされているかのような緊張感を覚える。夜になると、徐々に明かりをともすイタリア独特の広場の街灯が、1日の緊張をほぐす。
街灯だけでなく、バルコニーに窓枠、そして教会のファサードに内部、街で目にするであろうあらゆる物が繊細にデザインされているイタリアという国は、旅人を魅了するのに時間を必要としないようである。一方で、この国に暮らし日々イタリア社会の矛盾に直面しつつも、常に前向きに生き、自国の文化遺産に傾倒することのない人々によって支えられてきた国であることを忘れてはならない。郷土心に満ちあふれたこの国で、人々が守り続けてきた料理に親しむ中で、私はこの国に生きる人々の研ぎ澄まされた感性に思いを寄せていた。
 
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